羅臼岳(1661m)・斜里岳(1545m)  2006年 8月4日(金)〜8月8日(火)

はじめに


 6月22日信州、殿城山 にアンナプルナ、シャクナゲ街道トレッキングの後、初めて全員が集まった。その時に羅臼岳登山の話が出た。私は40年前母と羅臼に行った時、羅臼岳を眺め、それ以来登ってみたい山のひとつとなっていた。それですぐに参加を決めた。ところが7月5日から出かけた、フランスアルプストレッキングの初日、足慣らしのため下ったスキー場の斜面で突然左膝裏が痛み、下りが困難になってしまった。急遽ストックを買い、翌日のトレッキングからは痛み止めを飲み、湿布を貼って臨んだ。こうして全行程を無事歩き通したが、すっかり自信をなくしてしまった。若い時の筋肉痛と違い、加齢により、身体のバランスが微妙に変わって来た結果だということがよく判る。

 羅臼岳の行程時間(木下小屋から頂上往復)はガイドブックによると8時間35分である。歩き通せるか本当に心配だった。完登したので少し自信を取り戻したが、今回ほど、若い人がまぶしく見えたことはなかった。ちなみに斜里岳の行程時間は4時間50分(山と渓谷社、北海道の山2005年)あるいは7時間50分(昭文社、山と高原地図1、2006年版)である。私達はどちらの山も約10時間かかっている。


8月4日(金)曇り、雨  グレー一色の網走湖、オホーツク海

羽田より空路女満別、ウトロから木下小屋へ


7時10分 羽田離陸(ANA,Air Do 共同運行便)。8時50分女満別空港着 平坦な空港バスターミナルには駐車場とレンタカー各社以外、レストラン、喫茶、売店など見あたらず、何もない空港だと話す(実は2階にあった。帰りに判明)  9時45分 ウトロ直行バス。灰色の雲が低く垂れ込め、全体にガスがかかり展望が利かない。網走の町を抜け網走駅、煉瓦の壁を巡らした刑務所脇を通る。かって地の果ての、2度と生きては出られなかったという「監獄」のイメージはまったく失せ、むしろ煉瓦塀に歴史的風格さえ感じられ、歴史記念物という印象である。網走湖もオホーツクも空との境がないほどにグレー一色。木造の小さな藻琴駅が昔の北海道を偲ばせる。原生花園をすぎ軌道と平行して走行する。

 11時50分 ウトロ着。雨が降り始める。北海道らしい美味しいものを食べようと意気込むが、 それが何か具体的には判らず、食堂風情の「磯地」で鮭親子丼、海鮮弁当を食べる。コンビニで夕飯のお弁当、バナナ、ワインを買う。タクシーで岩尾別温泉、木下小屋へ向かう。40分くらいの距離である。 木下小屋  岩尾別温泉唯一のホテル「地の果て」横から徒歩5分程奥にはいった、沢沿いの二階建て丸太小屋で、トイレは別棟となりやはり丸太小屋風。周辺に甘い花の香りが漂う。ランプ。一階は正面に暖炉のある吹き抜けのダイニング・キッチンと管理人室。廊下の左右に部屋があり、突き当たりに野天風呂(三つ浴槽があり、2つはコンクリで固め、一つは木製で周囲に板塀が巡らしてある。底はいずれもぬるぬるで縁から手が離せない)がある。二階の吹き抜けの三方に6カ所の宿泊スペースがある。先客一人、後から3人の若者。彼らは翌日3時出発ということで、早い夕食を食べるとすぐに寝袋に入ってしまった。私達は天候次第で6日の予定と入れ替えるか決めることにするが熊スプレーをレンタルする。8時頃には就寝。  野天風呂には明るいうちに入った。目の前に桂の大木があり、その奥は山地。熊が出たらどうしよう!なんておもいつつ湯船に浸かった。


8月5日(土)  山頂付近は終日曇り、下界は午後から晴れ 怪我人に遭遇

羅臼岳登山


  4時起床。雨が上がり午後から晴れ、という予報なので予定通り羅臼登山決行。
行程:  4時50分小屋脇の登山口出発。5:15小休止。5:33-5:38 オホーツク展望台  5:50小休止。6:20-6:41岩峯(1650m)朝食。6:10-6:15 弥三吉水。7:25極楽平。8:00 仙人坂(頂上まで3kの標識)。8:25銀冷水。8:50-8:59大沢口。9:46-10:00ラウス平 10:36小休止。11:25-11:40 山頂 12:25岩清水。12:45-13:25ラウス平昼食。14:25仙人坂。極楽平で休止。

15:10-15:20 弥三吉水。16:05-16:18オホーツク展望台。16:55木下小屋。  木下小屋脇から一段登った台地に祠、入山下山自動登録器があり、木に注連縄がかけてある。安全祈願し、注連縄の下を潜り、各人思い思いの鈴を鳴らしながら樹林帯を、ユズリハの間の緩やかな山道をジグザグと登る。甘い花の香りが漂う。KYさんの鈴がよく響く。Kさんは各地で買った数個の鈴を腰に。私のものはスイス土産のもの。あまり響かない。カンカンと響く大きな鈴をつけた単独行の男性、それからご夫婦や若者カップル、単独行の何人かの男性、小樽の山岳会のパーティ(15人くらい)らに追い越される。オホーツク展望台はガスっていて何も見えない。ここから650m先の岩峯までの間アリの巣が多く、ヒグマ多出没地帯で要注意の看板。山道には成る程アリが忙しげに動き回っている。弥三吉水はテントが張れる小さい平地があり先着の山岳会パーティでいっぱい。極楽平をすぎ、仙人坂に至るが相変わらずガスっていて、周辺も上部の様子もわからない。銀冷水を過ぎ、羽衣峠の標識脇を通りしばらくいくと大沢口。雪渓が溶けたばかりの石のごろごろした谷間で、赤紫のエゾコザクラが愛らしい、雪で圧せられていた枯れ草の間からまだ根元が赤く、葉を少し拡げたタカネトウチソウの芽がピョンピョンと出ている。会津喜多方市役所の7人パーティに抜かれる。彼らとは日程が同じで以後抜きつ抜かれつ、最終日女満別の空港でも遭遇する。

 やがて小さな雪渓に取り付く。そして這い松の間の道を登り切るとラウス平にでる。風がつよく寒い。一瞬ガスが切れ、頂上がチラリ。まだまだ結構な登りだ。裸地となったテント場(木下弥三吉氏のレリーフあり)には先客が20人ほどいる。私達はそのまま、ステンレスのフードロッカーの前を過ぎ這い松、花殻の残るエゾツツジ(?)、赤紫の花をつけたエゾノツガザクラやコメツガの間の道を登る。這い松が切れ、砂利道に変わった裸地にラウス方面への標識が建つ。薄紫のイワブクロと白いメアカンフスマの群落。イワブクロの花の産毛に霧がついている。石清水は苔に覆われた岩から幾重もキラキラと水滴が滴り落ち、苔の緑との調和の美しさに見とれる。苔の間には白い可憐なイソツツジが一株。次第に高度を上げ、岩の間を3点確保で登る。朝私達を抜いていった人たちが登頂を終え下ってくる。「頂上は狭く、強風と寒さ、それに団体さんで長くはいられないですよ。」岩が折り重った狭い頂上。ガスで視界ゼロ。下から吹き上がてくる冷たい強風にバランスを失いそう。運悪く団体とかち合い、せめての記念撮影で入れ替わり立ち替わり標識にしがみつく人、ひと、ヒト。そして我々も。

 団体が下り、私達もそろりと下山開始。この後団体登山の人たちとはすれ違わなかったから山頂は静かになっただろう。石清水で一息つき、昼食の場所を探しながら下るが風が強くて適当な場所がない。相変わらずガスの立ちこめるラウス平でやっと昼食。外国人の青年3人が朗らかに元気一杯に登っていく。寒くて長居出来ない。

 慎重に雪渓と大沢を下る。仙人坂でこれから頂上を目指す3、4人の若者グループとすれ違う。極楽平辺りから青空がのぞき、陽が射す。すると背後の仙人坂の斜面からオーイ、オーイという呼び声がする。大沢口で怪我人が出たため連絡をと、叫んでいる。しかし私達の携帯も前を歩いていた男女3人の携帯もバッテリー切れや圏外で不通。男女3人が連絡のため急いで下る。山域はすっかり明るく晴れ渡り、私達は途中2箇所ほどオホーツク海も遠望し、怪我人を案じ、救助人の上ってくるのを願いながら下山を続ける。殆ど下り切ったところでヘリコプターの飛翔音を聞く。祠で無事下山したことを感謝する。怪我人は43歳の女性。私達とすれ違った登山途中の若者4人(自衛隊員だった)の幇助を受け、携帯が通じ、16時30分頃ヘリコプターで収容された由。雪渓で転び、胸を強く打って動けなくなったらしい。

8月6日(日)  快晴 抜けるような青空

知床観光 下から見上げる羅臼岳

翌日8月6日(日)は素晴らし天気で抜けるような青空が広がる。8時にタクシーでウトロに出る。9時50分発の観光バス「知床ロマンふれあい号」を予約し、出発まで、川沿いの公園を散歩する。早速KYさんがイソシギ、ハクセキレイ、キセキレイ、コサメビタキ、カワラヒワを 見つけ観察する。 観光バスで知床峠へ。峠はコンクリートで固められ、大型バスがひしめき幻滅。しかし羅臼岳が峠から這い上がるように堂々と聳え、しみじみ眺める。知床五湖から、羅臼岳、硫黄岳、知床岳まで青空にくっきり。羅臼岳はこちら側からは大沢口・雪渓二つもみえ、私達の登山道を目で追う。この日登った人は360度の展望を楽しんでいることだろう。

 ウトロから斜里に向かう途中バスの車窓より、海別山、斜里岳が平野の地平線に遠望される。裾野が長く双耳峯の斜里岳もなかなか手強そうだ。知床斜里より一両仕立てのJRで清里町へ。この車内で羅臼岳で行き違った男性と話す。私達と女満別空港からのバスで一緒だったとか。清岳荘に泊り明日斜里岳に登るそうだ。

 私達の宿は緑清荘、徒歩20分位と言うが、果てしなく続くビート畑の道を炎天下、歩くは辛そうだ。荷物も重いのでタクシーを呼ぶ。この町に3台しかないそうで、翌日早朝割り増し料金で予約しておく。久しぶり?に電気のもと、清潔な寝具、大きな湯船の温泉、盛りだくさんな夕食(ホタテの刺身が美味しかった)。GさんとKYさんは大ジョッキをはずむ。Kさんと私は小ジョッキ。  


8月7日(月)晴れ、  前日より水蒸気が多い。

斜里岳登山

行程 4:55 緑清荘発(タクシー)5:10清岳荘。 5:25清岳荘発。 5:39 登山口。 6:10小休止。6:30−6:45六合目(845m)朝食。6:50二股。 6:55水廉の滝。 7:18羽衣の滝。7:30滝を渡り、鎖場。7:54万丈の滝。 8:10見晴らしの滝。8:12七重の滝。8:17霊華の滝、八合目1195m。 8:25-8:40休み、りんごを食べる。9:02上二股。9:40 九合目胸突き八丁 9:49-10:00馬の背。10:20-11:00山頂1545m、昼食。11:25-11:30馬の背。 12:00-12:10上二股。12:55-13:05 1250m地点。13:25熊見峠 

14:30-14:45 二股。15:27 登山口。15:45清岳荘。16:00清岳荘発。  緑清荘に荷物を預け、迎えのタクシーで斜里岳登山口避難小屋清岳荘へ向かう。麦、ビート、馬鈴薯畑の真ん中を貫く、舗装された直線道路を時速100k近くで走り、やがて未舗装の森の道に入る。運転手さんの知り合いがこの道で数年前焼身自殺をしたそうで、夜登山客を清岳荘に届け、空車で帰る時は少し怖いという。  清岳荘は避難小屋とは思えない鉄筋の立派なベランダ付き2階建て。ガイドブックによると2005年から利用とある。以前のものは1998年に焼失。見晴らしがよく、斜里平野が前方下方に広がる。広い駐車場では登山者が準備に余念がない。前日電車で会った東京からの単独行の男性の姿も見える。清岳荘の裏手の林を抜け、鉄階段を数段下ると砂利道の林道に出る。10分程行った先に登山口がある。谷川を右手に渓流に沿う。紫のミソガワソウと白いトリアシショウマが群落して美しい。何度か石伝いに徒渉を繰り返す。

 朝食(前夜緑清荘で準備してくれたおにぎり)を取っていると中年のご夫婦が通る。彼らはもう少し先の下二股で朝食。レンタカーを利用している由。いよいよ渓流は斜度を増し、緩やかな滝状(なめ滝状というらしい)になり、その姿により、それなりの名がついている。たとえば岩盤いっぱいに流れ落ちる滝は羽衣の滝、長々と、あるいは幾重に曲がりながら流れ落ちていると万丈とか七重とか。見晴らしの滝は後ろを振り返ると斜里の平野が山間に見える。私達はひとつひとつ慎重に足場を確保しながら渡ったが若い人たちはひょいひょいと軽やかに早い。8合目霊華の滝まできて緊張の連続だったため少し疲れ、りんごを食べる。例の会津喜多方市パーティにここで追いつかれ再会する。

 上二股は帰りに取る新道との分岐点になる。渓流ともこれより少し上で別れ、石のごろごろした樋状の山道となり、目を上に向けると斜里岳の稜線が見えてくる。頂上は左手奥でまだみえない。黄金に輝くエゾキンバイが現れ始める。9合目からは急登、胸つき八丁。馬の背直下のガレ場に登る人達が小さくみえる。東京の単独行の男性が登頂を終え降りてくる。あのガレ場までの頑張りですよ、と励まされる。馬の背には先着した中年夫妻、喜多方市パーティが休んでいる。

 頂上へは急なガレ場で殆ど直登。立山の一乗越しからの雄山を連想させる。途中なだらかな鞍部があり、祠がある。東側の崖縁にフタマタタンポポ、イワキキョウ、オダマキが咲く。頂上からは360度の展望だが、靄がかかりはっきりはみえない。しかし摩周岳と摩周湖らしき窪み、硫黄岳、屈斜路湖、斜里平野が推察できる。Kさんが関東平野より広いわね、と言ったら傍にいた人が、「東京からですか」と問い返して笑った。昼食後喜多方市パーティより一足先に下るが馬の背で追い越される。帰路は上二股で尾根道を取る。Kさんがサイシンを見つける。5分ほど行った途中に龍神の池方面の矢印があり、Kさんと下ってみるが、かなり下方にあるようなので引き返す。尾根筋にでると1250mの標識が建つ這松に覆われた小さな頂 がある。そこから谷を隔てて北東に斜里岳が正面に全貌が見せ、馬の背、頂上に人が豆粒のように見える。谷に目を移すと、その上部の窪地に龍神の池、そしてそこから流れ落ちる龍神の滝が遠望される。今朝辿った渓流の水源と思われる。反対側南西方面は原生林の山が波打つように重なり合い、そして這い松に覆われた尾根に一筋の道が続くのが見える。これから辿る熊見峠への道である。峠からしばらくはだらだらと這い松地帯を下るが、樹林帯に入ると、幾重にも曲がった急坂となる。道は荒れて滑りやすく緊張の連続である。

 2/3ほど下ったところで小学生と中学生の男の子を含む家族(両親と子供3人)が後ろから下ってくる。彼らは私達が頂上から下るガレ場で、下から登って来た家族だ。さすがに女性軍は遅れがちだったが下二股に着いたとき、休みもしないで行ってしまった! 私達はやれやれと、15分も休んだ。下二股にはコンクリートの土台跡がある。以前避難小屋があったそうだ。気持ちを立て直して、再び今朝辿った渓流沿いに下る。慣れたせいか渓流渡りも余裕をもって、リズミカルに、先頭のKさんは楽しげに♪♪と鼻歌交じり。KYさんも「ここ、覚えている!」を連発しながら。Gさんはカメラが重く、以前右膝の靱帯を切ったので踏ん張りが利かず少し疲れた様子(?)。登山口の林道に出てみんな怪我のなかったことを感謝。急に熊避けの鈴が煩いほどに響きだした。予定より15分早く清岳荘に到着。ほとんど同時に迎えのタクシーも到着し、運転手さんと再会。

 駅前の食堂兼民宿に泊まる。二階は西日と屋根の輻射熱で蒸し暑い。  町はだだっ広く、閑散としており、電柱に有線がとりつけられ音楽が虚しく鳴り、前のガソリンスタンドでは高校野球の放送を流してうるさい。  

8月8日(火)晴れ。  郷土料理馬鈴薯餅、斜里の海岸で海鳥と戯れる

帰路 

8:18  JR清里町発。8:34知床斜里。10:45バス斜里発 12:00女満別空港着。 15:30 女満別空港(予定より40分ほど混雑のため遅れる)。 17:15 羽田空港。  陽射しは強烈に強いが、前日より一層水蒸気が多く斜里岳はほとんど輪郭のみしか辿れない。

 斜里町で2時間ほど時間があったので、駅前の旅館「斜里館」でモーニングサービスのコーヒーを飲む。いかにも冬仕様の建物で室内は窓が少なく、重々しい。お女将さんによると斜里町では小学生は丸山(?)中学生は斜里岳に全員親子登山する。またこの辺りの馬鈴薯はデンプン質の多い「ベニマル」だそうだ。お茶うけに「ベニマル」で作った馬鈴薯餅をサービスしてくれる。作り方はマッシュポテトに片栗粉を適宜加えて棒状にし、1〜2センチ厚の小口切りにしてフライパンで両面を焼き、甘辛のタレをつける。冷凍にして、適宜お汁粉や味噌汁にいれてもよいそうだ。北海道の郷土料理だそうだ。

 斜里館をでてから史跡斜里運上屋跡、斜里陣屋跡を訪ねるが見あたらず、オホーツクの海岸に出る。海鳥が一杯羽を休めている。KYさんによるとウミネコ、セグロカモメだそうだ。私は波打ち際のウミネコ集団のなかにグレーのウミネコより一回り大きい鳥も見たのだが、観察不備で特定してもらえなかった。KYさんと漁業組合前の海難慰霊碑をお参り。冬はこの海がどんなに荒れ狂うのだろうと想像する。
 
結 び
 
 北海道の山に咲く花を楽しみにしていたが、季節のタイミングが悪かったようだ。それでもGさんは重いカメラ機材を背負って行ったが天候の悪さも手伝い、羅臼岳では思うように撮影できなかった。

 一方斜里岳は私にとって忘れられない山行となった。Kさんは植物に詳しく、また地図と地形を読むのに長けている。竜神池に二人で途中まで下っていった時の彼女の観察眼に敬服し教えられることが多かった。熊見峠から下方に見えた竜神池を忘れることが出来ない。それは斜里岳の「へそ」のような窪み、水源であり、昔の人はそこに竜神が棲んでいると想像したのだろう。

 老いの入り口にいよいよ入ったこの時期に、野草や野鳥を愛し、その知識を惜しみなく教えてくれる人、そして計画を練り確実に実行に移し、どんな時も笑顔を絶やさない人、しかもとても自然体である。そういう人と出会えたのはなんという幸運だろう。羅臼岳ではガスって何も見えなかったとしても、斜里岳の最後の急な下りに草臥れきったとしても、実に爽やかで晴れ晴れとした幸福感に満たされたのは山の霊気に触れたからだけではないのだ。(2006年8月13日記)

文責:R  植物名はK さん、鳥名はKYさんに訂正して頂く。 計画者:G(山と花の愛好家)
参加者:G、KY(探鳥家)、K(山と花の愛好家), R(中級トレッカー)





木下小屋



羅臼岳



斜里岳山頂にて



オホーツク海