3月22日(水) 素晴らしいアンナプルナ山群、シャクナゲの森。タダバニで雹に降られる
 
 晴れ 6時15 分 朝焼けのアンナプルナ、マチャプチャレなど、素晴らしい眺めに興奮してベランダ、屋上で撮影。  7時50分 馬の都合(急登を避ける)で別の道を行くことになっていた中山さんも途中まで歩くことになり、一緒に出発。村外れより山道を登る。木立の合間にアンナプルナ山群と村落が見え隠れする。

 8時35 分 シテュSityu (2190m)。 急に展望が開け 明るい台地に茶屋。満開の見事なシャクナゲの木に歓声。見上げる山の斜面の所々に満開の赤いシャクナゲの木、うっすらとピンク色の木など。いよいよシャクナゲ地帯に入ったのだ。日本人の20名ほどの旅行社企画の中高年グループも登ってくる。今後このグループとは最後まで追いつ追われつの旅となる。このうちの一人が私達を見て「かってはうら若き女性たちのグループね」と評したのに少しムッ。

 シャクナゲの原生林を登る。Nさんの膝にみんな内心冷や冷や、どの辺で馬と合流するのだろう。ダワさん、リンジがおらず(ロッジで精算や次の段取りのため遅れて出発)、日本語が通じない。  河原の小さな橋の手前で小休止。これからは少し急な登りのようだ。馬とは何処で出会うのかGさんが先導のグルンジに思いあまって聞く。あと30分ほどという。渓流を渡ると案の定急な登り。やがて滝の下に出、そこからは滝の脇を石段状の狭い急登が20分ほど続く。

 11時10分 バイジ・カルカBhaisi Karka (2480m)。登り切ったところに茶屋とロッジがある。ポカポカと暖かい。ロッジのテラスには揺りかごや毛布が陽を浴びている。目の前に満開のシャクナゲ。馬、ダワさん、リンジも到着。ここからNさんは馬上の人に。再び山道を登る。シャクナゲの原生林の中に入り道は殆ど平ら、そして再びゆるやかな登り。大きな石の上で一休み。ダワさんとリンジが追いつく。
 12時55分 タダパニ Tadapani(2721m)。シャクナゲの大木の下の草地に鞍を取ったNさんの馬が草を喰んでいる。少し石段を登ったところに今夜のロッジ(H.Panorama Poit)。テラスの目の前にダウラギリDhaulagir(8167m)、アンナプルナ山群が迫る。右手に素朴な展望棟がある。これは1/50000の地図にわざわざ記載してある。昼食後登ろうと思ったが、雹が降り果たせなかった。
 
 13時 テラスで昼食。食事中にポツポツ雨が当たる。食堂に移る。 食堂に並べてあったチベット人の手編みの靴下、帽子など買う。もっと商品を見たいというと、下のロッジの前の露天に置いてあるというので見にいく。飴など持っていたら物々交換でもよいというので、持参の鉛筆で、毛糸で編んだ紐10本交換。売り子の青年のお姉さんがこのロッジで働いていて、食堂のテーブルの下に熾きを入れてくれる。雨が雹に変わり、 トタン屋根を激しく打つ。瞬く間に外は真っ白。ダワさんは早速雪だるまをつくる。虹が架かる。中国人グループがびしょ濡れになって到着。みんなで食堂の“炬燵”に入っていると、リンジからネパール酒やフライドポテト、干し肉など差し入れ。ガイド一人を連れてトレッキングしている山口出身の女性も仲間にはいる。彼女は数日前エベレスト街道をトレッキング中、同行者に殺されそうになり、真夜中ナムチェまで逃げたというが自分でもそれが現実だったのか夢のなかの出来事なのか判らないという。一種の高山病による幻想であるが、でもその話しは恐ろしかった。

 18 時30分 夕食。デザートにスタッフ手製のケーキ。この時Qさんが気分悪くなり(軽い一酸化中毒)退出。食事が終わって部屋に戻ると吐き気がするといってもどす。 20時 村人の唄とダンス。外は雪のため食堂で。村道などの修理のための募金が目的で20ルピー払う。シャクナゲのレイを懸けてくれる。後半はトレッカーも一緒になって踊った。



バイジ・カルカの茶屋、Nさん馬上の人となる。



密林地帯



ガンドルンからダダパニへ。アンナプルナ山群



ダダパニ到着



ダダパニで雹に降られる



ダワさんの雪だるま


アンナプルナ紀行