7月13 日(木)少し青空と霧。シェルパガオン経由シャベル・ベンシへ

 7時30 分出発。激流と別れ、針葉樹の森林に覆われた深い谷間を眺めながら山腹の道を徐々に高度をあげる。イワタバコ科の紫の花(コラロディスクス・ラヌギノスス)が岩一面に、道端にはトウダイグサが目立つ。気温が上がるに従い霧が巻きはじめ、峠に着くころには辺りは真っ白となり視界がきかない。3〜4人のチベット族の女性が荷を下ろして休んでいる。キャンジン・ゴンパの祭りの物資を運んでいるのだ。

 この辺りはヒル(ズガ)が多く、山側のストック(草木に触るので)に小さいのがはい上がってくる。その度にナムゲルやリンジが“素手”でヒョイと捕ってくれる。一番すごかったのはリンジが葉裏を返して見せてくれた、3〜4cmはありそうな太ったヒルで、触るとぐんぐんと伸びる。こうして人や動物に乗り移るのだそうだ。

 山腹を大きく回り込むとシェルパガオンsherpagaon(2563m)。民族服を着た少年と短刀を帯に差したお祖父さんに出会う。ロッジ「チベット」はチベット式の高床(下は家畜小屋や納屋)、開口部に彫刻の飾りが施された旧家屋に宿泊用の新しい建物が繋ぎあわされている。素晴らしい眺めである。残念ながらガネッシュ・ヒマール(7000m級)は雲の中である。女主人が手機織り機で織った敷物と居住部をみせてもらう。

 1時間ほど歩いて2660mの地点に。霧の晴れ間から向かいの山腹にゴサインクンドに続く集落デュルサガンDursagang ?(2726m )がみえる。芝地にカルカ跡(2700m)と涸れた水道跡があり、谷に向かって祭礼のための石囲いにタルチョがはためく。ここから薄暗い樹林帯にはいり、急な下りである。ヒルともお別れ。単独行の西洋人男性が登ってきたので“ナマステ!”チベット族の女性達が 酒瓶を背負って登ってくる。祭り準備にキャンジン・ゴンパに向かうのだ。道端にワラビが生え、トウモロコシの畑が広がり、昼食の村キャンジンKhangjin(2235m)が見えるが、なかなか着かない。

 キャンジンは山腹にある集落で、眼下にチベットを源流とするボーテ・コシと正面の山腹には軍要路がうねうねと這い上がっているのが遠望される。女性たちはチベット族の服か色鮮やかなサリーを着ている。太陽が燦々と降り注ぎ、トタン屋根に唐辛子と山椒の実が干してある。前庭では女性を一人交えて、車座になって“丁”、“半”とサイコロを振っている。風通しのよい二階のテラスでやっと昼食にありつき、食後は思い思いにうたた寝や賭博見物、あるいはぶらぶらして過ごす。山村の長閑な昼下がりである。

 いよいよ最後の下りは強い西日を受けて一挙に1460mのシャブル・ベンシまで。2カ所の水場でリンジ達は頭から水をかぶる。堆積する枯れた松葉や、小石に何度も足を取られそうになる。狩りのため火を放たれて黒こげになった樹木や下草、長い煙突とストーブを背負って登ってくる老人、大きな桜の木(年2回咲く)・・・リンジらの額が日焼けして皮がむけ始める。

 先頭のリンジは“容赦なく”どんどん下る。ボーテ・コシに懸かる長い吊り橋を渡り終わった(振出点に戻った)時は全身汗で濡れ、もう一歩も歩けない、いや歩きたくなかった!  粗末だが賑やかな村道を通り、「ブッダホテル」に到着。テリヤ君の出迎え受け、ビールで乾杯し、シャワーを浴びやっと人心地がつく。

 夕食後食堂でポーター達を交えた全員で慣例のパーティー。手作りのケーキを頬張り、やがてネパール音楽をボリューム一杯に上げてぶつかりながらダンス。そんな中、長身の西洋人の若者6人とガイドが到着(こんなに遅く、8時頃だ)。目をまん丸にしている。彼らが夕食に降りてきたころを見計らってお開き。  シャベル・ベシは標高が低いため暑い。



シェルパ・ガオン



シェルパ・ガオンの機織り



シェルパ・ガオンの旧居



キャンジンの村落



スタッフ達の打ち合わせ



陽射しを避けて2階のテラスで昼食



シャブル・ベンシの村道



ポーテ・コーシへの下り



さよならケーキ



サヨナラパーティ



サヨナラパーティ



サヨナラパーティ


ランタン紀行