7月7日(土)晴れ 森林帯を抜けアイリスの群生、ランタン村へ
 
 Iさんの顔色も平常になり、7時30分出発。ロッジの間を抜け山道にはいる。隊列は撮影組とブラブラ歩き組と自ずと決まって、先頭にダワさん、Sさんは殆どしんがりで、こまめに植物の写真を撮る。マンガルは大体Gさんの後ろにつき、ナムゲルはSさんのカメラ機材を背負っている関係上常にSさんの後ろにつき、リンジは臨機応変に先頭にたったり、しんがりについたりする。

 薄暗い照葉樹林の中を、ランタン・コーラの轟音と激流に怯えながら急登を繰り返す。下草に巨大なテンナンショウ(アリサエマ・グリフィティー)、この茎は食用にするとか。これとよく似ているが葉の形態が少し違うものもあり、こちらは食用にしないらしい。全身緑色の、火炎包のヒゲが空に向かって真っ直ぐ伸びるテンナンショウ(アリサエマ・コンキヌム)。とてもイワタバコ科とは思えないディディモカルプス・プリムリフォリウス、キバナノコマノツメ(ビオラ・ビフロラ)を見つける。

 木々の合間から白い峰が見える。ランタン・ルリンである。間もなくランタン・コーラ岸の明るい平地グムナチョクGumnachok(2769m)に出る。小さなロッジとトイレ。太陽の熱気で屋根やベンチから湯気がもうもうと立ち昇っている。女性のポーターと客待ちの馬が一匹。 河辺の草地にキク科の黄色い花(名称未検索)。ランタン・ルリンは間もなく雲に隠れてしまう。

 再び樹林帯の登り。先頭のダワさんグループと大きく引き離される。道端にはピンク色のシオガマ、フウロ(高度が上がるに従い、赤紫の色が濃くなる)、ショウガ科のピンク色のロスコエア・アルビナ。やがて道は平坦になり、右側に明るい草地に紫の花が・・・、アヤメ(イリス・ゴニオカルバ)の群落である。周囲の灌木のなかにピンク色の野バラ(ロサ・マクロフィラ)も咲く。いよいよ花のランタン谷に足を踏み入れたのだ! ネパールのサンショウの木も現れ、赤い実も一杯つけている。ダワさんが葉をちぎって匂いをかがせてくれたが、本当に葉っぱはごつごつと大きいが良い香りが漂う。更に1時間登ると急に目の前が開け、草地のゴラタベラGhoratabela (2992m)に着く。ランタン・コーラは遙か下方となり、前方には緑に覆われた山がU字谷を形作り、その中腹に道がつづき、やがて重なる山懐のなかに消える。ガンチェンポ(6387m)の頂きがU字谷の真ん中に見える。ロッジの裏手北側は巨大な岩稜で、滝が何段にもなって音もなく落下している。

 ロッジ前のテーブルには先客の欧米人とそのガイドらが数人、スカートに登山靴を履いた白髪の英国人、おそろしく長身の若者、そしてバンブーで会った父娘がキラキラと輝く陽光を楽しんでいる。私達もここで昼食。“黒”が少し離れてお行儀よくお座り。マンガルが私達の残り物を与えるが、ハムだけ拾い出し、人参やうどんはたべない。
 アヤメがあちこちに咲く草地を10 分ほど歩くとチェック・ポイント、その先の軍の施設を通過。清らかな流れに水車で回っているマニ車の祠がある。祠の背後には岩稜が聳え、滝が落下している。自然の脅威への祈りは何処も同じだ。

 ごろごろの石道を登る、暑さで苦しい。 私達のキッチンボーイが追い越していく。バラの木の木陰で小休止していると黒ちゃんが追いつく。彼もハアハアと息をして私達の傍に座り込む。灌木の間に見える岩稜に雲がかかり始める。

 ちょっと急な坂を頑張って登るとタングシャプThyangsyapu(3120m)。ダワさんと“黒”が先着し待っている。ロッジは閉まって人影なし。「新鮮なヤクのカードあり」という看板が虚しい。ここからはチベット人の畑(大麦、馬鈴薯、トウモロコシ等)が続き沿道にはワラビが一杯生えている。10分後チャムキChamki(3110m)を通過。同様に人影なし。この辺りからランタン村が遠望される。道は平坦で、右手はゆるやかな傾斜の大麦や野菜の畑で、4~5人固まって働く村民の衣服が鮮やか。リンジ達と大声でやり取りする。吊り橋(下は怖くてみられないほどに谷が深い)を渡る。橋の袂のコンクリート上に大麦を干している。確かに日当たりよし、格好の乾し場である。村民の智恵が微笑ましい。雨が降り出し、先ほど大麦を干していた人が大麦を背負子の篭に入れ、上に大きな葉を被せて追い抜いていく。

 再び緩やかに登りゴンパGompa(約3305m)に着く。下から見上げた時見えた人家とタルチョにここがランタンかとはやとちりする。疲れているのだ。通過しようとするが、小休。雨がひどくなり、人気のない人家の軒先で雨宿り。ランタン村が谷を隔てまだ“かなり遠くに”見える。リンジが励ますように「あともう少し、ちょっと下って吊り橋を渡り、あのarmy campを通過して。あと40分」。せっかく登ったのにとおもいながら下り長い吊り橋を渡り再び登りやっとランタン村入口に着く。私達のロッジは一番奥だそうだ。三連式の水車で回るマニ車の祠の前の小川を渡り民家の間を抜けてロッジに着く(16時15分)。ラマホテルから9時間(途中昼食を入れ2時間近い休息はあったが)の行程である。

 ロッジは、草地を囲むように食堂、二階建ての宿泊棟、キチン棟の三棟からなる。疲れた私達が食堂に入るとラマホテルで一緒だったドイツ人カップルとガイドがストーブを囲み、その上には濡れた衣類が干してある。

 ロッジのおそろしく段差の高い階段を上る。4部屋あるが、一つはトイレとシャワー室でタイル張り。客室より大きい。便器が一段と高い“舞台”の真ん中に鎮座している。全身汗びっしょりで兎も角シャワーを浴びる。温湯のなんと気持ちよいことか。
 夕食のため食堂に行くと、黒ちゃんがキチンと食堂を結ぶ、キッチンスタッフが行き来する草地の真ん中にうずくまっている。「僕も忘れないで!」という風に。  夕食に7種の野菜のテンプラが大皿に盛り合わされて感激。(茄子、人参、玉葱、馬鈴薯、南瓜、ピーマン、?)日本語の上手なナムゲルが“手”でつまみ上げたのに、彼がネパール人だったことを思い出す。

 電灯(!)の下で寝支度をする。外はすっぽり霧に包まれ、七夕さまは望むべくもない。11 時頃雨の音を聞きながらトイレに起きる。廊下の雨具やスパッツを干してあるテーブルの下に大きな黒いものがある。近づいて見ると毛皮の塊、ぎょっとするが落ち着いて見ると、微かに呼吸している。“黒”だ!安堵して私もぐっすり寝る。翌朝すぐ見に行くともぬけの殻だった。


ラマホテル



照葉地帯とランタン・リルン



グムナチョクで休憩するポーター母子



ゴラタベラよりランタン方面を望む



キッチンポーター



タングチャプ



チャムチ付近からランタン村とランタン・コーラ



ランタン村


ランタン紀行