Alaska紀行  2012年9月4日(火)
9月4日(火)成田   成田 16:30 出発 DL156  日付変更線通過   
シアトル着9:15(日本時間5日1:30) 時差ー16時間
シアトル11:15 発(日本時間5日3:15)  時差−1時間 AS087  
アンカレッジ14:50着 専用車
タルキートナロッジ18:35着 Latitude 62 泊
成田を出発して9時間、シアトルでアラスカ航空便に乗り換える。尾翼のマークがイヌイットの男性の顔で、チェ・ゲバラによく似ている。 ここから乗り込んできた乗客の男女ともに横も縦も大きいのに驚く。とくに男性は背丈もさることながら、腕っ節が強そうで、顔つきも自信満々、開拓時代のアメリカが彼等をとおして見えてくる。そう、いよいよ"アラスカ"に私たちは行くのだ、と実感する。  

 アンカレッジで、現地スタッフ加藤さんの出迎えを受ける。ドライバーはウエス氏Mr。Wes、片言の日本語を話す。深みなある声の持ち主で、背丈は中くらい。とくに大きくはない。ベリー類や野草を愛する温厚な人柄で、テレビで放映された関野善晴「グレート・ジャーニー」のアラスカ部分に同行したという。  

 加藤さんよりミックスナッツとミネラルウォーターの差し入れがあり、 荷物トレーラーをつけた12人乗りのバンで出発する。道路脇のナナカマドが房状にたわわに赤い実をつけている。市街を抜け、自動車道(ジョージ・パークハイウエイ)に入ると両サイドは葉が黄色に染まり出した白樺、アスペン(白樺に似ているがヤナギ科の樹木)とトウヒが混在した草原や林が続く。道幅は広く、殆ど直線で、行き交う車も殆どない。平原に立ち枯れた木(トウヒ)が目立つようになる。1964年の津波の後遺症だそうだ。  

 16:20  スーパー「Carrs 」に寄り行動食を購入。小雨が降りはじめ寒い。スーパーは巨大で何がどこにあるやらウロウロ、食品の量の多さにタジタジとなるが、なんとかビスケット、菓子パン、ブドウを買う。  18:20 右手に沼が広がり、ナキハクチョウが数羽。間もなくタルキートナの村に入る。どんよりと雲が低く立ちこめ人影もない。ロッジに入る前に村を一周するがシーンと静まり返っている。広い道路脇には平屋もしくは2階建てのこじんまりした家がひっそりと並ぶ。


アラスカ鉄道

タルキートナで一番古いホテル
Latitude 62


夕食:アラスカの紅鮭のソテー他
地面にむき出しの線路上に列車がドカンと停車している。 18:35 ホテル「ラティチュード 62」着。内部は 天井が低く、狭く薄暗い。ロビーは バーを兼ねており、 頑丈な木製のテーブルと椅子、レジを兼ねた木製のカウンター。その背後には酒瓶が並ぶ。壁には鹿の角、登山家やスキーヤーたちの写真が目白押しに掛かる。目が慣れると大男たちがカウンター前や椅子を占領している。村人のたまり場らしいが、雰囲気は静かである。どやどやとなだれ込んだ私たちにも無関心である。隣接するもう一部屋は食堂で、20人程度の食事が出来る広さだ。アンカレッジから広大な自然のなかを走り抜けてたどり着いた、この人の肩の触れ合う狭い空間は暖かく、シェルターのように感じられた。

天候が悪いので予定の遊覧飛行は中止となる。
客室は質素で、大小二つのベット、小机とスタンド、小さな棚。シャワー・トイレ付きだが、シャワーは寒くて入る気がしない。  夕食は全員アラスカの紅鮭のソテー。付け合わせは大量の茹でたインゲンとピラフ。ガーリックパン。アラスカビールで乾杯。 注文を取る女主人も見事に大女である。  

夕食後植村直己氏が最後に泊まった5号室に集まり記念撮影をする。
9月4日(火) 9月5日(水) 9月6日(木) 9月7日(金) 9月8日(土)
9月9日(日) 9月10日(月)ー12(水