BHUTAN紀行  2008年
はじめに

 
ブータンをトレッキングすることは花フリークの私たちにとってヒマラヤの植物を探索することであるが、ブータンに限ってはGNPよりもGNH(国民総幸福 )を目指すこの国で“幸福に暮らす”ブータンの人たちとその暮らしぶりへの強い興味もある。

 欧米人が「神秘な国」と憧れるその理由も確かめたい。しかしいづれにしても漠然とした目的にすぎない。それが突如明確な目的を得たのは、“ハ”の固有種白いケシの存在を知った時からである。

 しかしまず“ハ”が地方名なのかよく解らない、町の名でもあるらしいのだ。知り得たのはインド国境に接したブータンの西部に位置し、2001年に外国人の入域が可能になったばかりの地区(地方)であり、市町村名でもあるということだけであった。従って参考資料も少なく、トレッキング地図を入手することは無論のこと、グーグルで検索するもままならなかった。

準備から出発まで 

 トレッキングルートはほぼ標高4000m前後、一日の行程は6~8時間と長い。高山病対策と高度順応も兼ねて5月(高川山)、6月(木曽駒ガ岳)に出かけた。パルスオキシメータ(血中酸素飽和度測定器)、予防薬としてダイアモックスも持参し、トレッキング中は朝夕血中酸素飽和度を測定し、各人の体調に合わせ一日1/2から1錠のダイアモックスを服用した。

 詳細な地図は入手不可であったが、参加者の一人がGPSを持っており、海外での使用は初めてで、どの程度に使用できるか予測できなかったが、ルートの軌跡ナビの実施を試みた。

 参加者は女性6人。当初9人の参加が予定されたが、家族に高齢者や病人がおり、15日間日本を留守にするのは難しく直前までキャンセルが続いた。
 そして最後に、全て準備が整い、出発日を待つばかりとなった6月16日、帰りのパロ発バンコク行の便が乗客が少ないという理由で欠航するという。なんとブータン的であることよ! 結局翌日の便が手配され、私達の旅は一日延長されることになった

ブータン:ハ(地方)に白いケシ、メコノプシス・スペルバを探して 
  2008年6月22日〜7月6日
(紀行文と写真は日付をクリック)      map 
月日 都市名 交通機関 内  容
 
6月22日(日) 成田  
バンコク
国際線TG641 到着後ホテルへ

6月23日(月) バンコク  
パロ
KB127 パロ・ゾン参拝とパロ散歩

6月24日(火) チェレラ峠
専用車 チェレラ(峠3750m)を越えて
ハ(2760m)へ
6月25日(水) 高度順化 ガイドのキプチュさんの生家へ
6月26日(木) 第1テン トレッキング 農家の間を縫い、ジャナ・ジンカ寺へ。アイリスの茂る沼の辺でキャンプ
6月27日(金) 第2テント
ヴォンジダン
トレッキング チェンゼラ第一峠(3836m)、チェンゼラ第2峠(4121m)をへてヴォンジダン(3768m)
6月28日(土) 第3テント
ヌプ・ツォナパタ
トレッキング 第1ゴーチェラ峠(4183m),第2ゴーチェラ峠(4449m)を経て ヌプ・ツォナバタ(4183m)へ
6月29日(日) ヌプ・ツォナパタ 停滞日 停滞日。戯れるマーモット、対岸にノビレダイオウを探索
6月30日(月) 第4テント
リゴナ
トレッキング バターを作るヤクマン、神秘的な沼を経由してリゴナ(4098m)へ
10 7月1日(火) 第5テント
ユロ
トレッキング ヤトウラ峠(4431m)、白いケシ(4286m)、ユロ(4165m)。石投げに興じるスタッフ。
11 7月2日(水) トレッキング  メコノプシス・スペルバの谷間。チェンゼラ峠、ジャナ・ジンカ寺をへてハへ
12 7月3日(木) パロ   専用車 弓場で試合見物、ティンプーを経てパロへ
13 7月4日(金) パロ 予備日 国立博物館タ・ゾン、キチュ・ラカン、踊り見物
14 7月5日(土) バンコク ブータン航空KB122 パロを離れる、バンコク市内観光
15 7月6日(日) 成田 タイ国際航空 TG676 バンコクー成田国際空港
ブータントレッキングについて 裸足の王様、無冠の王  白いケシを訪ねて
今回の参加者・スタッフ
参加者後藤はるみ 衛藤朝子 菊池ノリ子 柴田順子 千石禎子 千石玲子
スタッフ:キプチュ(ガイド)、カカ、カルマ、ジミー    ドライバー
個人ポーター:ルンジ、ナゴ
馬方:ツサン、他二名   馬:15頭